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太田海也選手の家族は?兄弟は何人?ボートから自転車に転向した理由も紹介

自転車競技で2024パリオリンピックに出場する太田海也(おおたかいや)選手

高校時代はボートで全国大会準優勝、ボートをするために大学進学するも中退。

一時期は日雇いの仕事で食べつないでいたそうですが、その後自転車競技を始めます。

この記事では、太田海也選手の家族や兄弟について、またボート競技から自転車に転向して成功するまでをご紹介します。

太田海也さんのプロフィール

  • 氏名:太田海也(おおたかいや)
  • 出身地:岡山県
  • 生年月日:1999年7月27日
  • 身長・体重:174.0cm 78.0kg
  • 学歴:岡山県立備前緑陽高校卒業
    日本大学中退

太田海也さんの家族構成

太田海也さんは両親と4人兄弟の6人家族です。

海也さんは兄弟の中で3番目とのことです。

MoreCADENCEのインタビューで、子ども時代の習い事について

「4人きょうだいの3人目です。上も下もいて、あまり手がかけられないというのもあったと思います。」

と話しています。

太田海也さんはハーフ?

太田海也さんは彫りが深い丹精な顔立ちをされています。

そのため、「もしかしてハーフ?」と思う方がいるかも知れませんが、ハーフではないようです。

太田海也さんの競技歴

高校時代にボートで日本一に、そして現在は自転車競技でオリンピック出場という太田海也さんの競技歴を見てみましょう。

(太田海也さんのエピソードは、MoreCADENCEを参考にしました)

子ども時代は体操に夢中

体操選手がくるくる回るのを見てカッコいいなと思い、「あんな風にやってみたい」と親に言って体操を始めました。

ただ、海也さんは4人兄弟の3番目なので、両親は習い事の送迎などは出来なかったそうです。

そのため、動くことが好きな海也さんに対しても「習い事はできるだけしないでほしい」と言っていたのだとか。

本当はサッカーがやりたかった?

子ども時代は本当はサッカーがやりたかったそうです。

でも、送迎が必要で、両親はそれが出来ないから・・・・・・という理由で断念しました。

月謝が安くて送迎の不要なスポーツをチョイス

海也さんが子ども時代に選んだのは、月謝が安いもの、そして送迎がいらないものでした。

それでもとにかく身体を動かしたくて、何かしらのスポーツをやっていたそうですよ。

中学校でサッカーを始める

中学校に入って、ようやくやりたかったサッカーを始めることができました。

サッカー部の他の人は小学校時代からサッカーをしていましたが、海也さんは中学校に入ってからサッカーデビューをします。

それでも2年生でレギュラーに選ばれているのは、さすがとしか言えませんね。

高校時代はボートで日本一に

太田海也さんは、岡山県の備前緑陽高校時代、ボート部に所属していました。

その実力は岡山県内でもトップクラスで、3年生の時に全国高校総合大会(高校総体)でボートのダブルスカル(2人漕ぎのボート)で優勝します。

また、全国高校選抜ボート大会でシングルスカル(1人漕ぎ)準優勝、クオドルプル(4人漕ぎ)で国民体育大会ボート競技の部で準優勝を果たしました。

ボートで日本大学に推薦入学

高校時代のボートの成績によって日本大学に推薦で入学します。

しかし、ボート選手としては小柄でした。

そのため、体格的にもボートでは、思ったような成果が出ず、腰痛になったこともあり、わずか7ヶ月で大学を中退してしまいます。

せっかく推薦入学できたのに中退してしまったことで、大学だけでなく高校などお世話になった人にお詫びをして回ったそうですよ。

大学中退後、自転車競技の道へ

地元の岡山で日雇い労働を経験

大学中退後は、地元の岡山に戻りました。

地元では、食い繋ぐために日雇いの土木現場の仕事をしたこともあったそうです。

自転車選手への道

ある日、自転車を買おうとサイクルショップに入りました。

きっかけは「通勤に車が欲しいけれど、貯金が30万円しかない。

自分は身体を動かすのが好きだから自転車で通えばいいだろう」

と思ったことでした。

サイクルショップの店員として働く

ところが、その店にある自転車はみんな高いものばかり。

「高級そうだな〜」と思いながら見ていると、サイクルショップの社長が話しかけてきたそうです。

いろいろ話すうちに社長と仲良くなり、その店で働くことになりました。

定価140万円の自転車を購入

サイクルショップで働くうちに、定価140万円の自転車を購入しました。

毎日1時間かけて自転車通勤をし、さらに早朝や仕事終わりにも自転車の練習に打ち込みます。

さらに自転車が好きになり、競輪選手への道に進みました。

養成所を早期卒業

自転車選手の養成所では、早期卒業するほど優秀な成績を残しました。

数々の試合で勝ち進んでいき、自転車トラック競技の国際レース『2024ジャパントラックカップII』では4種目中3種目で優勝する3冠を達成。

その日は母の日だったので、お母さんに「産んでくれてありがとう」という感謝の言葉をかけています。

パリオリンピック出場

パリオリンピック出場が決まった時、両親からは

人の期待なんか背負わず、自分が楽しいと思うこと、気持ち良いと思うことだけをやっていきなさい

という言葉をかけられました。

プレッシャーをかけず、優しく見守るご両親ならではの言葉ですね。

まとめ

この記事では、パリオリンピックの自転車競技に出場する太田海也選手のプロフィールや家族、ボートから自転車に転向した理由などについてご紹介しました。

パリオリンピックでの活躍をお祈りしています。

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