2024年7月から新一万円札の顔になる渋沢栄一氏。子だくさんで多くの孫がいます。
その中のひとり、鮫島純子(さめじますみこ)さんについて書いてみます。
鮫島純子さんは女子学習院を卒業し、エッセイストとして活躍されました。
日本経済の父と呼ばれた祖父・渋沢栄一が財産を築いた豊かな家で育った純子さんですが、意外にも質素な暮らしをされていたそうです。
この記事では、鮫島純子さんのおいたちや学歴、人生、そして現在について書いています。
スポンサーリンク渋沢栄一氏の孫・鮫島純子さんの学歴は?
鮫島純子さんは大正11年(1922年)に東京都で生まれました。
祖父は渋沢栄一、父は栄一の四男・渋沢正雄氏です。
父も実業家だったとか。
学校は女子学習院・高等科を卒業されました。
女子学習院は学習院大学や学習院女子大学の系列校です。
卒業生には香淳(こうじゅん)皇后(昭和天皇の皇后)、秋篠宮紀子様、眞子様、佳子様をはじめとする皇族方が多くおられます。
オノ・ヨーコさん、池坊保子さん、安藤和津さんなど文化人も多く卒業しているんですよ。
にぎやかな渋沢家
渋沢栄一には妻が何人もいて、多くの子どもや孫がいました。
多くの子どもや孫に恵まれた渋沢栄一氏。
氏を取り囲むようなご家族の様子がほほえましいですね。
スポンサーリンク鮫島純子さんは岩倉具視の子孫と結婚
女子学習院を卒業した鮫島純子さんは、20歳で結婚します。
お相手は岩倉具視の子孫である鮫島員重(かずしげ)氏です。
鮫島員重氏は軍人でしたが、やがて三菱重工の常務になられました。
男の子が3人生まれています。
スポンサーリンク鮫島純子さんは質素で倹約家
渋沢栄一氏の孫として生まれたなら、きっとお金持ちでぜいたくな暮らしをしたと想像しますが、そんなことはありません。
子どもの頃から質素倹約を心がけていて、自分の着る物だけでなく夫や子どもの衣類もほとんど手作りしたそうです。
この当時の人はみなそういう心がけだったのかも知れませんが、特に渋沢栄一氏は質素倹約の精神があったそうです。
NHK大河ドラマ『青天を衝け」で、渋沢栄一が息を引き取る場面です。
渋沢栄一は亡くなっても、その精神は受け継がれていったのですね。
エッセイストとして活躍
鮫島純子さんはエッセイストとして、多くの名言や著書を残しています。
なんだか励まされる本ですね。
「今日の名言」での鮫島純子さんの言葉です。
「今日の言葉」こちらもいい言葉ですね。
『97歳、幸せな超ポジティブ生活』
表紙のお顔がとても活き活きされていますね!
鮫島純子さんは好奇心旺盛!
一方、鮫島純子さんはとても好奇心が旺盛で、特に健康維持に関してはさまざまなことに取り組まれました。
夫が亡くなった後、70代で水泳を始め、80代で社交ダンスを始めるなど、周囲も驚くほどです。
さらに90代でヨガを習い始めたのだとか!
なんと99歳で講演会でお話もされているんですよ
鮫島純子さんの現在は?
鮫島純子さんは残念ながら2023年1月19日にお亡くなりになりました。
100歳でした。
まとめ
この記事では、渋沢栄一の孫・鮫島純子さんの学歴や生い立ち、現在についてご紹介しました。
鮫島純子さんは女子学習院高等科を卒業し、岩倉具視の子孫である鮫島氏と結婚。
3人の男の子が生まれ、子育てをしながらエッセイストとして本を書いてこられました。
質素倹約の精神を大切にし、着る物はほとんどが手作りだったそうです。
健康維持にも努められて、100歳まで長生きされました。
新一万円札でますます注目を浴びる渋沢栄一氏の子孫のお話でした。
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